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当寺は従来天台宗に属し、比叡山三千坊の一にして山号を神遊山と号し、曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で、昔は山科神社の神宮寺であった。本堂に安置する本尊不動明王は智証大師の作、大石良雄の念持仏であったという。本堂の下段境内に大石良雄の遺髪塚及び宅址がある。
赤穂城明渡しの後、彼はここにかくれてひそかに討入りの謀をめぐらしたが、事成ってのち邸宅、田畑等一切を岩屋寺に寄進した。その後、当寺は荒廃したが嘉永年間(1848〜1854年)に堅譲尼が京都町奉行浅野長祚等の寄進をうけて再興した。境内には本堂、毘沙門堂のほか明治34年(1901年)に建立された木像があり、
堂内に浅野内匠頭長矩公の位牌及び大石良雄の遺品、他に四十七士の位牌木像を安置する。12月14日には義士忌が行われる。
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大石良雄遺髪塚
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昌泰3(900)年、醍醐天皇が母親を弔うために創建されたお寺。6600平米の広大な池泉庭園「氷池園」が有名。池には大小3つの島が浮かぶ。平安時代には、中央の氷室池に張る氷の厚さによってその年の豊凶を占ったそうだ。境内には、なんと樹齢750年という名木ハイビャクシンがある。
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樹齢750年という名木ハイビャクシン
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親・子・孫の三代がある
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