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大阪湾北岸で最も南出した台地先端に、全長200m後円部高さ16mに及ぶ兵庫県下最大、全国で30位の大型前方後円墳で、昭和40年から10年がかりで神戸市が原型の石葺きで復元したが、大型古墳では全国唯一の復元工事であった。4〜5世紀にかけて明石を治めていた大王が、明石海峡を抜ける船団への脅しのためにこの重要な場所
に築いたと言われる(国指定史跡)。日本書紀によれば仲哀天皇の正妻の子カゴサカ、オシクマの兄弟王子が、朝鮮遠征から帰って来る義母の神功皇后を討つ為に、明石海峡に浮かべた多数の軍船をカモフラージュするために、淡路島から葺石を運んで仲哀天皇の墓を造ると偽って、この山稜を築いたとある。西側の小壷古墳は石葺きでなく土塚で、五色塚の陪塚ではなくそれよりも以前に築かれたもののようである。
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寡っての古墳は総て写真のように、石が積まれていた由。当古墳はこのクラスでは唯一宮内庁所管外のため、復元が可能となった。
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