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中は冷房もなく暑かった。朝獲れた鯖を一塩して、一昼夜かけて京都に運ぶと丁度いい味わいになるということから名づけられた「鯖街道」。その起点であるいづみ町に鯖街道資料館はある。さまざまな物品と写真、パネルが往時を活気を感じさせる。その昔から小浜に残る「京は遠ても十八里」という言葉にも京都との深い関わりが感じられる。
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旧市街の氏神を祀る神社で、現在の建物は鎌倉時代の初めに建てられたもの。毎年9月には若狭最大の秋祭り「放生祭」が1200年以上続いている。5種類の出し物が毎年12区ずつ交代で練り歩き、太鼓や山車の競演は最大の見どころとなっている。
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人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという八百比丘尼伝説。全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた後若狭に戻り、自らこの洞穴に入り亡くなった。当時を忍ぶ椿の花が今も咲き誇り、健康長寿を願う人々のお参りが絶えない。
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酒井家墓所のある空印寺および小浜小学校の地は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した処で、以後、京極高次の雲浜築城に至るまで一国支配の本拠だった。高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし泰雲寺を建立したが、寛永11年(1634)松江に転封。同年入部した酒井忠勝は、
父忠利の霊骨を移して建康寺と称した。寛文年中、2代忠直が堂宇大修造のとき、祖父の法号をとって建康山空印寺と改め今日に至っている。
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日本海最大の港町で、北前船の寄港地として栄え、町人の多くが豊かな生活をしていた江戸時代後期の町家を再建したもの。
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