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壬生寺は千年の歴史を持つ古刹で、新撰組と縁が深く、宿所もすぐ傍にあった。境内では、隊士達が武芸や大砲の訓練を行ったり、毎年4月に行われる「壬生狂言」を鑑賞したという。境内の東側にある壬生塚には、この近藤勇像や隊士の墓がある。また、三橋美智也の 「あゝ新撰組」の歌碑が平成11年に建立された。
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写真左側に隊士が屯所とした屋敷の一つである八木邸があり、新撰組の歴史はここから始まった。邸内には、初代局長・芹沢鴨を近藤勇らが暗殺したときの鴨居の刀傷がある。
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島原遊郭の島原大門は、かっての華やかな花街の面影を残している。隊士達も幾度くぐったことであろうか。遊郭への出入りは常時、この大門のみというのが決まりであった。それは、遊女の逃亡を防ぐためであった。門の脇に設置された用水手桶、それは悲しい歴史を語るものである。
その昔、火災が起こったにも拘わらず、この大門が閉じられたままという事があった。逃げる事が出来なかった遊女の多くが、哀れな焼死を遂げたというのだ。以来、手桶が常に設置されるようになったのである。
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輪違屋(京都市指定文化財)は創業元禄年間(1688〜1704)と伝えられ、置屋として300年、お茶屋の鑑札を掲げて130年の歴史を誇る。今の建物は安政4年(1857)に再建された後、明治4年(1871)に改造された。現在島原唯一の置屋・お茶屋として4人の太夫「花扇、司、春日、花琴」を抱える。残念ながら、いちげんさんはお断りである。
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揚屋・角屋は遊びだけでなく、各藩の会議の場としても使われた。時には長州の志士達と新選組の来場が重なることもあり、女達は鉢合わさせないように気を使ったとか。豪商達がバックについていた長州や薩摩の方が金払いが良く、島原でもてたそうだ。
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