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この山門は、薬医門で桃山城城門を旧天満別院から移築されたもの。重文級。城門であった為、通常の寺院山門に比べて建物規模が大きいのが特徴で、馬に跨って通行できる高さを確保したものと言われる。
薬医門とは、2本の本柱・控え柱に、冠木・男梁・女梁・かえる股を組み合わせ、棟木は本柱の柱筋とはずれている独特な架講の門。
右は鼓楼。窓は花頭窓(かとうまど)と称す。
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左から大正・幕末・明治時代の三軒が並ぶ
幕末のものが一番低い
近所のお婆さんに案内していただく
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葛原家の3階建ての土蔵。瓦葺の水切り庇をめぐらせ、三層窓の妻が表に向いた珍しいもの。駅に向かっていると、お婆さんが「三層蔵は見ましたか」と声を掛けて頂き、足を運んだ。
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66回 03/10/25(土) 阪急大宮→壬生寺→八木邸→前川邸→島原大門→角屋→東寺
→JR京都→バス→京大前→吉田神社→宗忠神社→
後一条天皇陵→金戒光明寺→祇園新町→阪急烏丸
久々に永井さん参加。ないことに欠席者多く残念。ただし、絶好の秋日和。今回は、地元深見さん企画の「新撰組ゆかりの地めぐり」と、来年NHK大河ドラマの先取り。先ずは、壬生寺へ。境内は思っていたより広くはないが、相当なもの。鳩と遊んでいた親子をみて、沖田総司もこのように子供達と遊んでいたのかと想像する。壬生狂言の舞台も
テレビで見るよりは狭い感じ。近くにある隊士が寝起きしていた八木・旧前川邸は当時そのままと云うが、まだ新しく幕末もそう昔ではないのかと感心したりもする。旧前川邸は、買主が屯所であったことを知らずに買った由で、今年7月から新撰組グッツを販売、玄関先だけは見学できた。角屋2階での太夫の観賞は三ヶ月前の予約を要し、
1階のみを観賞。「角屋もてなしの文化美術館」と称し、建造物・庭園等の他に、調度品・用具・食器なども展示。あと京都駅で昼飯後、バスで京大前へ移動。文化祭の派手な看板を横目に、吉田神社へ。金戒光明寺には何度か来ているが、墓所へ入ることはなく、会津藩の墓があるとは思いも寄らなかった。一度ゆっくりと巡りたい気もする。
あと、近辺の社寺へ立ち寄りながら四条烏丸まで。近くは何度か歩いたことはあるが、今日のコースは新鮮な気持ちがした。夜の部設営と共に案内の深見さんに感謝の1日だった。(約25千歩)
「秋の暮れ読経の流る光明寺」
・一面トップ:イラク支援国会議 アラブ諸国拠出表明 日・米・EU・含め総額380億
ドルに(読売)
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