アルバム'06


ボケ山古墳(仁賢陵)
ボケ山古墳(仁賢陵)
ボケ山古墳(仁賢天皇埴生坂本陵)は墳丘長122mで、前方部を南西に向けた前方後円墳。くびれ部のやや前方部寄りに造出しをもち、周囲には濠と堤をめぐらせている。
 
後円部の幅や高さに対して前方部のそれが大きく上回る平面形態を呈し、古市古墳群の中では新しい時期の特徴を見出すことができる。墳丘の外表施設や内部施設は不明だがが、堤上から出土した円筒埴輪は6世紀前葉と推定される。
 
1981年に前方部北西側外堤に接する斜面で実施された羽曳野市教育委員会による発掘調査では、二基の埴輪窯跡が検出された。窯跡から出土した埴輪は堤上から出土したものとほとんど特徴に差がなく、窯跡の構築がボケ山古墳の築造を契機としてなされたことが分かった。大王墓の築造に伴う埴輪の製作と供給のプロセスを明らかにする上で、極めて重要な成果といえる。
 
ボケ山古墳(仁賢陵)
ボケ山古墳(仁賢陵)
野中寺
野中寺
「やちゅうじ」と称す。聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる飛鳥時代の寺。「中の太子」と呼ばれている。建設当時は野中寺独特の伽藍配置(国史跡)で、竹ノ内街道近くに南大門をおく大寺院だった。現在残っている万丈や勧学院(府指定文化財)などは、江戸期に律宗の学問所が設けられたときのもの。
 
白鳳期の弥勒菩薩像(重要文化財)、鎌倉期の地蔵菩薩像(重要文化財)のほか、ヒチンジョ池西古墳出土の石棺、お染久松の墓なども残されている。また、境内のサザンカは、府の天然記念物に指定されている。
野中寺
野中寺
野中寺
野中寺


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