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西琳寺は、応神朝後期の渡来した百済(くだら)の学者王仁(わに)博士が帰化し、その後裔である河内の文氏が文化の発展に努めた際に、欽明天皇のときに自宅の一部を精舎としたのが起源となっているといわれている。境内にある巨石は、仏教考古学上でも珍しい形式の五重塔の心礎であり、約7500貫(28トン)の塔礎は飛鳥朝様式としては最大級のものである。
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5世紀後半の埴輪焼成用の窖窯群(あながまぐん)と工房跡が発見されており、古市古墳群内の古墳築造を考える上で重要なため、1973年に国の史跡に指定された。一見すると小さな公園のようだが、案内板を見ると、ここが遺跡だということがわかる。この遺跡からは、長さ6〜7メートル、幅1.5メートルでゆるやかに傾斜した9基の登り窯が発見され、
発掘調査では様々な種類の埴輪(はにわ)が出土した。今は、窯そのものはなくなっている。ちなみに、この窯で焼かれた埴輪が、どの古墳で使われたかは、不明である。
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誉田白鳥埴輪製作遺跡の前にエキゾチックな石像が建っていた
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墓山古墳の陪塚のひとつで墳丘一辺68m高さ10m
墓山古墳の周囲には浄元寺山、向墓山、野中、西墓山という4基の陪塚が配されている。
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