アルバム'99


99/7/24 家康床机場
99/7/24 家康床机場
ここで首実検 東西二ヶ所に首塚あり
 
15回 99/07/24(土) JR関が原ー東首塚ー歴史民俗資料館ー家康床机場ー決戦地
              ー笹尾山三成陣ー島津新惟陣ー小西行長陣ー開戦地ー
              宇喜多秀家陣ー大谷吉継の墓ー不破関資料館ー不破関ー
              福島正則陣ー藤堂高虎陣ーJR関が原
 
三浦さん加入、楽しくやりましょう。一度は訪れたいと思っていた関が原へ、「青春18きっぷ」で。大阪8:00発新快速で米原9:22着、名古屋から単身赴任で帰省を兼ねた藤井さんと合流、久々のご対面。次の快速まで待つこと22分、関が原10:05着。天神祭りの盛夏の最中約10kmの古戦場めぐり。先ずは駅近くの東首塚へ、お供えの花が僅かに
 
400年前も昔とならず。予備知識を仕入れに歴史民俗資料館へ、関が原合戦の開戦から収束までを時間の経過と共に各陣の移動を電気模型により説明。他に古今の東西勢力のぶつかった数々の歴史を古文書・発掘品などで展示。次の丸山のろし場、少し高いと早くもパス。笹尾山石田三成陣跡は狭い設え。あとビール探すも見つからず、
 
国道筋の店で昼飯。開戦地は幟林立の公園仕立て。暑さに参り数ヶ所パス。不破関資料館には、昭和49年からの発掘により関の概要が明らかになり、貴重な資料を展示。関は壬申の乱(672年)後、延暦8年(789)まで中山道の要として存続した。暑さボケか西首塚を見逃し駅へ。暑さには参ったが積年の想いを果たし満足の一日だった。
 
「夏草や下に眠るは武士か」
99/7/24 決戦地
99/7/24 決戦地
両軍最期の雌雄を決す
99/7/24 関が原
99/7/24 関が原
三浦さんコッフェル持参でコーヒーたて うまかった〜 ありがとう
99/8/28 延暦寺
99/8/28 延暦寺
最澄開山から1200年 その間多くの名僧を世に送る
 
写真の根本中堂は延暦寺一山の総本堂
 
秘仏薬師如来の前に1200年絶えることなく「不滅の法灯」が灯る
 
16回 99/08/28(土) 三条BS−バスー延暦寺ー玉体杉ー横川中堂ーバスー
              比叡山展望台ーロープウェイ比叡ーきらら坂ー叡電修学院
 
夏はやはり山だろうと比叡山(848m)へ、三条バスターミナル9:31発のバスで延暦寺10:24着。途中車窓からの眺めも下界あり山ありで退屈せず。延暦寺:東搭・西塔・横川の三塔地域六谷からなる境内は、余りに大きく予定の半分も巡れず。距離にすれば6kmで東海自然歩道になっている。境内をシャトルバスが巡る。根本中堂・浄土院・釈迦堂を
 
巡り、ここから横川まで約4kmの路を歩む、途中に大きな玉体杉。しばし休息。この路モミの天然林やミヤコ笹が生い繁る鬱蒼とした路。夏も終わりか蝉の声時々。やがて横川中堂、午後の陽に朱色鮮やか。バスの時間が気になり、三元大師堂はパス。やっと間に合うバスはアイドリング禁止で蒸し風呂状態、運転手も気の毒。奥比叡ドライブウェイ
 
を展望台まで。しばし眺望を楽しむも、時すでに4時過ぎ。予定通り「きらら坂」を下るか、バスにするか逡巡。ロープウェイ・ケーブルで八瀬へ下りることに。ロープウェイを降りたところで色気、まだ陽は高いときらら坂へ。途中、路を間違えたのか流水に削られた狭い沢のよう。それでも出たところに「きらら坂」の道標…。やっとの思いで街にたどり着くと日はとっぷりと。これさえなければ良かったのだが、反省。河原町夜の部19:30から。
 
「きらら坂夏の最中に身が凍る」
99/8/28 玉体杉 
99/8/28 玉体杉 
横川への路 回峰行者がここで玉体加持しこの名


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