|
![]() |
雨もあがり 助かる
4回 98/02/28(土) 阪急河原町ー平安神宮ー永観堂ー哲学の道ー銀閣寺ー
詩仙堂ー吉田山ー黒谷ー阪急河原町
当初、蹴上から煉瓦造りの発電所を観賞のあと、琵琶湖からトンネルをくぐり流れ来る疎水の出口、かって疎水を運航していた舟を上りの際に落差を引き揚げた装置と舟、その傍らに立つ疎水の父田辺博士の像と疎水開発経緯の碑文などを案内し、あと疎水が上を流れる水路閣を経て、疎水に沿った哲学の道を歩く予定だった。ひょんなことから、
あらぬ方向に足が向かう。予定変更をお詫びすると共に、近くのインクライン傍にある琵琶湖疎水記念館(日・祭日休館)を含めたこのコースお奨めである。さて、着いたところは平安神宮、季節外れの庭は価値なしとパス。しばし定番スポットを辿る。紅葉で有名な永観堂にはみかえり阿弥陀如来、邪念を起こした永観律師をお咎めの姿。ここから南
1km弱で水路閣だが、疎水に逆行して戻る気分になれず。ましてつまみ食いでは意義なし。熊野若王子神社を経て、哲学の道をしばし歩む。法然院は春秋特定期間のみで門前払い。この辺りで予期せぬ小雨、傘を買う人も。小止みを狙い弁当での昼飯、幸い雨あがる。風情のある道も銀閣寺まで、月光を映す砂盛りも昔のまま。詩仙堂へは街中の道。
吉田山へは勿論坂、疲れた足にはこたえる。吉田神社に人影なし、しばし市内を一望。あと、元同僚の墓参に黒谷・金戒光明寺へ、墓石探すことしばし辺りは薄暮。墓石にはお花が、お参りを済ませ、河原町に戻ると日はとっぷりと18:15。一部予定吹っ飛ぶも、9時間もよく歩いた一日だった。(約30千歩)
「夕暮れや一緒に呑みたい友は墓」
|
何十年振りかの訪問
ししおどしの音も昔のまま
|
展望台には地図 市内一望
|
5回 98/04/25(土) 近鉄吉野ー蔵王堂ー吉水神社ー勝手神社ー如意輪寺
ー温泉谷湯元ー近鉄吉野
列島雨一色。予定を変更し、奈良国立博物館鑑賞を提案するも否決される。朝はまだ曇り空だったので、吉野へ向かう。近鉄阿倍野の集合場所は東口が便利と聞きここにするも、誰も現れず。幾つかの改札口を廻り、無事列車定刻に間に合う。乗車1時間半で吉野。幸い雨はまだ、ロープウェイは乗らず、くねくね道を登りきると、やがて蔵王堂。
ハイク主体のため中には入らず。運良くばと思っていた桜はやはり散ったあと、だが新緑が鮮やか。天気も悪く人影まばら。銘酒店・土産屋など見物しながら歩くうち、パラパラと小雨。飲食店の前では少ない客の呼込み熾烈。宮滝への山道で食べる予定の弁当を、少々早いが近くの店屋で。花見用に設えられた、ゴザ敷きの舞台から見えるのは、
灰色の空ばかり。何か取らねばとビールと肴少々、あとは持参のスイング。壜の半分を超えた頃、宮滝行き中止は暗黙の合意。店を出るとすぐに「葛きり」の看板、吉野に来た限りはと早速の賞味。ここのおばさん、「うちに入ってくれんかと見てましてん…」以前は大阪のどこそこに住んでいたとか長話。如意輪寺から別のハイキングコースで駅まで。初めての頓挫ではあったが、のんびりとした一日だった。
「吉野山桜散つたり呑むばかり」
写真、どこで撮ったか思い出せない。4年の歳月のためばかりではなさそう。
4年後再訪するも確認の機会を得ず。
|
● 燦咲倶楽部 | ● 次回のご案内 | ● 散策履歴 | ● 現役散策履歴 | ● 会員紀行履歴 | ● リンク集 | ● 失敗履歴 | ● | ● |
● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
● | ● | ● | ● |