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うしろは創設者鳥井信治郎銅像と1924年の初代ポットスチル
女性は名ガイド神田さん
56回 02/12/23(祝) 阪急水無瀬ーサントリー山崎ー水無瀬神宮ー桜井の駅跡ー
春日神社ー本澄寺ー一乗寺ー梶原寺跡ー昼神車塚ー
慈願寺ー上宮天満宮ー阪急高槻
ここ暫くの冷雨と打って変っての冬晴れ。ミステリーウォークと洒落て、地元菊池さんの企画・案内。さて、何処へのご案内か。前日、体調不良で欠席連絡の永井さんも参加。歩き納めにみんなと顔を会わせておきたいと。9時過ぎ出発。先ず、新幹線車窓からお馴染みのサントリー山崎へ。緑豊かな中に煉瓦壁の落ちついた佇まい。初めての人
過半。見学案内より30分早く着き、しばし懐かしいポスター・ボトルなどを観賞。美人ガイドさんの工程案内後、各種方法での「山崎」の試飲。出来上がってしまう人も。あとにすること11:20。水無瀬神宮の名水で禊ぎ。ポリタンクで持ち帰る人多数。桜井の駅跡での昼飯。陽気に即席燗酒のありがたさも半減。流石さっきのあと量進まず。三浦さん
コッフェルでのコーヒー点て格別の美味さ。食後子供に混ざってソフトに興ずる人も。あと春日神社を経て本澄寺。三好達治記念館あるも鉄扉固く閉ざした侭、残念。高槻への6kmは街中を車に怯えながらが殆ど、やっと旧四国街道にのがれ一息つく。一乗寺・梶原寺跡・昼神車塚を巡り、日本最古の上宮天満宮へ。あと高槻城跡へ向かうも
駅前の赤提灯が目に入りこれまで。永井さん不調でのリタイアあるも、宴席に息災の電話があり、一同ひと安心。冬至一日後の短日ではあったが、珍しい処の案内感謝。来年も元気に歩けんことを念じつつ、歩き納め且つ、呑み納め。(約26千歩)
「山崎や日も燦々と鳥翔ちぬ」
・一面トップ:北朝鮮「核」の封印撤去ー実験炉の監視不能ーカメラ覆い危機さらに深刻(朝日)
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新幹線からのお馴染みの風景
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境内に府下唯一の名水百選がある
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国指定重要文化財 水無瀬神宮客殿(島本町HPより)
拝殿の隣に南に向かって建つ客殿は、豊臣秀吉が家臣福島正則に造営させ、寄進したと伝えられています。また寛永8年の水無瀬殿の焼失以後の再建ともいわれます。一時は社務所また江戸時代には広間や宸殿と呼ばれていました。屋根は入母屋造で
現在は桟瓦葺ですが、当初はこけら葺であったようです。南側と西側に広縁をもち、内側座敷は四室。全体の形式手法は書院形式で、規模・形式ともに標準的で比較的簡素な造りとなっています。この客殿は水無瀬家の表向儀礼の中心的建物でした。
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♪青葉茂れる桜井の〜この歌をご存じの方は昭和一桁以前か
国指定史跡
後醍醐天皇の進める「建武の新政」は急激な政治の変化をもたらし、これを助けた武士たちに不満を募らせることとなりました。武士たちは足利尊氏のもとに集まり遂に挙兵しました。これに対し楠木正成は天皇方の大将として兵庫に赴く途中、この地において
嫡子正行に「父が討ち死にしたのちも一族をまとめて戦い続けることが忠孝である」と遺訓して別れました。これが「太平記」に見られる桜井の別れです。このことは忠孝の逸話として伝承され、後世に多大な影響を及ぼしました。
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