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だんじり会館内に展示
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だんじり会館内に展示
傍に太鼓の練習用だんじり 小さい子供がうまく叩いていた
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天正年間(1573〜86)岸和田城は根来・雑賀衆に攻められ落城寸前の時、大蛸に乗った法師と数千の蛸が現れ、敵をなぎ倒し城を救った。後日、堀から矢傷・玉傷を無数に負った地蔵が発見され、城内に大切に納められた。1596年に今の日本一大きい地蔵堂に移る。
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大坂高麗橋から住吉・堺・岸和田を経て和歌山に至る
紀州徳川・岡部家の参勤交代のため整備された
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建武元年(1334)和田高家が「岸」と呼ばれていた地に築城した。慶長2年(1597)秀吉の臣・小出秀政が近世城郭として整備した。寛永17年(1640)岡部宣勝が入城、維新まで岡部家が泉州統治の拠点とした。威容を誇った5層の天守閣は文政10年(1827)雷で焼失。昭和29年に再建。郷土資料館として、岡部家の古文書・美術品などを展示。
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