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祭りの曳山行列を、この窓から眺める。
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信楽院(しんぎょういん)は、浄土宗の寺院で奈良時代前期、聖武天皇の勅建。中世にこの地方を統治していた蒲生氏の菩提寺。安土・桃山時代に現在地に移された。境内には滋賀県指定の文化財の本堂や書院などがありる。また、本堂天井には、狩野山楽にも比肩するといわれる日野出身の画家高田敬輔(たかだけいほ)作の巨大な竜が荒れ狂うさまを描いた「雲竜」を中心に描かれた縦横11mの見事な水墨画がある。
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城主の蒲生氏郷(がもう-うじさと)公は、弘治2年(1556)日野中野城で蒲生賢秀の子として生まれ、幼名を鶴千代と云った。織田信長に従い、元服して忠三郎賦秀(ヤスヒデ)と改め、信長の娘冬姫を妻とした。信長が本能寺の変に倒れた後、豊臣秀吉に従い、名を氏郷と改め天正12年(1548)戦功によって伊勢松ヶ島12万石に転封された。
松阪に新城を築き移った氏郷の徳を慕い、多くの日野商人が松阪に移住した。天正18年(1590)の小田原陣の後、秀吉は氏郷を奥州の押さえとして会津黒川92万石に封じた。氏郷は、自分の故郷日野の若松の森にちなみ会津若松の名称に改めた。氏郷はますます興隆していくかに見えたが、文禄4年(1595)、氏郷は文禄の役のため名護屋在陣中に病にかかり、京都の蒲生邸で40歳の若さで生涯を閉じた。
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