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80回 05/1/22(土) JR朝霧駅→大藏海岸→キツネ塚古墳→舞子倶楽部→崇富出世龍王→大歳山遺跡→山陽電鉄西舞子駅→舞子六神社→舞子延命地藏→舞子砲台跡→橋の科学館→舞子公園→孫中山記念館→五色塚古墳→海神社→JR垂水駅
今年の歩き初めは、第80回の節目と張り切られた斉藤さん企画の神戸・垂水「明石海峡を見はる古墳めぐり」。今回から藤井さんが参加。名古屋単身赴任だが極力参加の由。9:18出発。先ず、大蔵海岸へ。ここへは昨年7月にも来ているが初めての方もおられるので・・・。堀江謙一のマーメイド号などを観賞。南港でもそうだったが、磯の香り
が全くないのが不思議。海水の成分が昔と変わってしまったのか。もう一つに水の綺麗なことに驚き。3〜4mの海底が透けて見える。近所の方が(漁師に非ず)海鼠を沢山獲っていた。斉藤さんの下見のお陰で、道に迷うことなく坂を登ったり下ったり。風も殆どなく気温も上がってきて、セーターを脱ぐもの多し。朝の出発が遅れたのも何のその、
11時に昼飯。ここを逃すと良いところがない由。明石大橋の近くに「橋の科学館」なるものが、予定になかったが入ってみる。結果的にはよい時間調整となる。舞子の六角堂(孫中山記念館)は何十年眺めるばかりであったが、初めて入ることに。五色塚古墳では、本来の古墳の姿を知り眼から鱗が。駅到着は午後4時。夜の部は三宮へと思うも、
折角の魚の町。昼が早かったとの口実で早めの乾杯。今回も好天に恵まれ、新会員の加入もあり、斉藤さんの好企画と相俟って、新年にふさわしい1日だった。(約18千歩)
「海透けて海鼠哀れや身を晒し」
・一面トップ:大阪市を一斉調査へ 国税局 職員の過剰福利で(毎日)
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この明舞団地一帯の尾根先には、古墳時代末期6世紀の小型古墳が10数基あったが団地造成で殆どが破壊され、残ったのは「キツネ塚」と呼ばれる直径25m程の円墳1つだけである。奈良高松塚古墳は18mなので円墳としては大きく、明石海峡の水先案内をしていた部族の首長が葬られていたのではなかろうかと考えられる。
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旧武藤山治邸の鐘紡舞子倶楽部。明治40年(1907)築。栄枯盛衰を感じる。
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4世紀から5世紀にかけて、垂水や明石地方を支配した南鮮から移住してきた海人族は、何の前触れもなしに起こる竜巻と雷については防ぎようが無く非常に恐れていた。これを沈めるために祈ったのが、中国で信じられていた「龍王信仰」で、その龍王(竜神)を祀ったのが台地先端の「塩もりさん」で、
現在は小さな祠が建ちこれを台地の東裾に降ろして「崇富出世龍王」として地元の人達に信仰されている。沢山の燈籠が寄進され綺麗に並んでいるのは垂水では珍しい情景である。
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2〜30万年前の明石原人の腰骨化石を発見した直良信夫氏が、大正末期にここ大歳山から縄文時代前期(5千年前)の土器を発見したのが始まりで、戦後発掘調査され整備されて昭和49年に「大歳山遺跡公園」となった。その後発掘調査が進むにつれ時代は2万年前の旧石器時代にまで遡っている。
発見当初はこの大歳山に最古の日本人が住んでいたという事でその後各地から出土する爪型紋土器を「大歳山式」と現在も呼ばれている。園内には復元された弥生竪穴住居と古墳時代末期6世紀の小型前方後円墳がある。この辺りの首長が葬られていると考えられる。
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