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右を見ても左を見ても 杉・杉・杉である
山を下ってくると 桧や雑木を眼にするようになる
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中川の南端、菩提川にかかる高さ約15mの滝。菩提川は沢ノ池から発して沢山の西側を通過して北流、清滝川に合流する。この合流点から約2km上流の標高275m付近で一本の滝として落下している。鷹ケ峰と中川を結ぶ旧街道沿いにあり、江戸期の地誌書にしばしば記載されるほど著名である。
今日では東海自然歩道となり、そこから河床に下りると広い滝壷があり、周囲は礫の河原になっている。昔はこの滝つぼにたまった砂を採取して磨丸太を磨くための砂として用いられていた。滝のみの写真も撮ったのだが、手ぶれの失敗作であった。
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小生の計画は、池の西側に沿って南端まで行き、そこから西へ高雄へ抜けるコースだった。いざ出発と人数を確認したところ、先にこの案内板を見た方が「京都一周トレイル」のコースへ向かったあと。呼び戻しに行って貰い、計画の径を進んだところ中断。ガイドブック執筆の山岳会に確認したのだが・・・。みなさんに申し訳なかった。
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東海自然歩道の途中に位置する静かな池。澄んだ水が印象的との案内であったが、池畔へ降りて観賞する余裕はなかった。ここへは'98/7/25に現役組に参加した記憶はあるのだが確とは覚えていない。「現役散策履歴」の16回をご覧あれ。
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余部崎灯台
102回 06/10/28(土) 梅田→(バス)余部鉄橋下→(山陰海岸が一望できる景勝地)伊笹岬・余部埼灯台→余部鉄橋ビューポイント→余部鉄橋下→(バス)城崎温泉→(バス)梅田
今回は旅行社のバス移動による「余部ウォーク」。発意者の説明によると、余部鉄橋は新鉄橋工事のため、現状の景色を見られるのは今年中との由。予定の村上ご夫妻が欠席され12名が早朝7:30に「梅田ダイビル」に集合。西梅田に高層ビルが建ち並び今昔の感。さて、バス3台は定刻10分遅れで7:55に出発。天王寺発の3台と合流し250名
の大編成。例に洩れず中高年のご婦人が多く、トイレ休憩に時間を要す。おかげで男性達は、ゆっくりと喫煙や海産物などの土産を観賞できる。昼飯の弁当はバス内で済ませ、鉄橋下から12:30に「余部ウォーク」のスタート。荷物はバスに置き身軽になるも、日本海の風に備えて、ジャンパーを羽織って行く方も多かったが無用の長物。風は殆ど
なく、穏やかな日本海を楽しむ。海の色空の色、どこまでも青く、将に行楽の秋。惜しむらくは25℃の夏日、すぐに汗ばんでくる。途中に急な坂もあり灯台を諦める向きもあるのではと案じたが、灯台をバックに全員が写真に納まったのは何よりであった。いつもながらの高崎さん差し入れの蜜柑が特に美味かった。残念ながら余部鉄橋ビューポイント
での写真は物にできなかったが、下から撮れたのはせめてもの慰めだった。バスは余部をあとに「城崎」へ。折角の温泉に浸かったのは3名のみ。あとはバスでの弁当を早くとったためか、腹ごしらえを優先。限られた時間ではあったが、刺身をはじめ新鮮かつ美味な魚に満足。量の多さと値段の安さには驚きだった。バスは無事、21:20梅田到着。
流石に飲みに行くこともなく解散となる。さようなら「余部鉄橋」!。高山さんに感謝の一日だった。(約16千歩)
余部崎灯台は、昭和26年(1951)建造の比較的新しい灯台で、海面から光点までの高さが284mで日本一の高さである。光の到達距離も日本一で約73km、京都府の経ヶ岬まで届く。
「見上ぐれば余部鉄橋天高し」
・一面トップ:高校履修漏れ 救済策検討 首相が指示 404校に拡大 リポート活用案も
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