アルバム'06


06/1/28 灘五郷
06/1/28 灘五郷
今津灯台
 
92回 06/1/28(土) 阪神今津駅→今津灯台→大関甘辛の関寿庵→日本盛煉瓦館→宮水庭園→宮水発祥の地→白鷹水苑禄→白鹿酒造館→白鹿クラシックス→西宮神社→阪神西宮駅(電車)→魚崎駅→桜正宗記念館・桜宴→菊正宗酒造記念館→白鶴酒造資料館→阪神住吉駅
 
今年の歩き初めは、いつもお世話になっている「灘五郷」へ。とは云うものの、行く先々で酒離れの現状を耳にし心が痛む。そもそも当会発祥の赤提灯でも、当時は「焼酎」などを口にするものは皆無であった。十年一昔と云うが今昔の感を禁じえない。さて、集合は阪神今津駅に9:05。震災後、阪急・阪神電鉄共高架駅になっており、
 
両駅は回廊で繋がっている。地元近くの方は時間を持て余したか、お早いお集まり。先ずは、各施設開館10時への時間調整もあり「今津灯台」へ。ン十年前に歩いた筈であるが、当時の面影はない。震災の影響もあるのだろう。「灘五郷」とは、西宮市の「今津郷・西宮郷」と。芦屋市を挟み、神戸市東灘区・灘区の「魚崎郷・御影郷・西郷」を云う。
 
因みに、「西灘」とは「灘」に対しての「明石市大久保」の酒蔵を指す。話を戻す。今津灯台をあとにして「酒蔵通り」を西へ歩む。酒蔵は数々あるのだが、「記念館・資料館」と称して公開しているのは、流石に大手のみである。行く先々での試飲。少量とは云え昼間の酒はよく廻るものである。西宮郷をあとに電車で魚崎郷へ。
 
どこの酒蔵も似たようなもの、この頃には皆さんも飽きてきたご様子。早い目に斎藤さんの巣「なすの花」へ急ぐ。小春日和に恵まれたあと、旨い刺身での「灘の生一本」は格別であった。斎藤さんに感謝。今年一年、全員元気に楽しく歩けるよう祈念してお開きとする。(約20千歩)
 
「ほとばしる宮水ひかり春近し」
 
・一面トップ:テント生活のホームレス 住所は「公園」 「生活の本拠」登録認める 市の不受理「違法」 大阪地裁初判断(毎日)
 
「お知らせ」
  日本塗料協会広報誌「プリズム」の'06年1月号に、当会の紹介を写真('05/9/24)付きで下記のとおり掲載しました。
 
「アルコール会」になることも
                                神東塗料株式会社「OB歩こう会」
 
  現役当時、赤提灯の常連で「歩こう会」を始めたのが10年前の平成7年10月。退職後も参加していが、この会は隔月開催のため、時間に余裕のあるOBには2ヶ月間が待ち遠しかった。
 
  そこで、平成9年7月に「現役会」のない月にOB4名で始めたのが当会である。平成11年2月からは毎月開催し「現役会」への参加は遠慮することにした。発会当初は自由に参加できたが、希望者が多く収拾がつかないので、現在では「現役会」の卒業生に限っている。会員数は17名で今年12月で91回を迎えた。
 
  行先は、山、渓谷、湖畔、古道、街道、史跡、社寺、城下町、街並み、島、等々およそ歩ける所ならどこへでも出かけている。春夏秋冬、季節に合わせるのは勿論である。歩行距離は十数kmか。いつも天候に恵まれるのが不思議である。夜の部がまた楽しく「アルコール会」と揶揄される所以である。
 
  年一度、コストパフォーマンスの良さをモットーに「青春18きっぷ」の一泊旅行で第二の青春を謳歌している。これも「現役年金保険料」のお陰である。健康第一!皆さまも大いに歩きませんか。
 
ホームページで活動内容をご覧いただけます。
http://s-otani.hp.infoseek.co.jp/
今津灯台
今津灯台
酒蔵の各施設が10時開館と云うこともあり、時間調整を兼ねて「今津灯台」を訪れた。この灯台は今でも使われており、「大関酒造」の管理下にある。毎朝点検の警備員と出会い、先の写真のシャッターを押して頂いた。1810年(文化7年)、大関酒造の長部家5代目長兵衛が、私費を投じて今津港頭に建設したのが始まり。戦後のジェーン台風後、
 
灯台も防潮堤の外側に孤立する形になったが、変貌する港にあって、唯一、昔の面影を留める西宮一帯のシンボルとして市民に親しまれている。さらに長く世に役立つことを願って、1965年(昭和40年)、107年ぶりに解体復元された。 また、1974年(昭和49年)3月、「木造袴腰付燈篭形行灯式灯台」の遺例として、西宮市指定重要有形文化財に
 
指定された。今津港の繁栄を今日に伝える貴重な文化遺産として、西宮観光30選にも選ばれている。1984年(昭和59年)には、創建当時の姿に再度復元された。
今津灯台
今津灯台
1990年(平成2年)11月に樽廻船をモチーフにした記念碑などが建立された。
酒蔵通り
酒蔵通り
今津灯台をあとにして、いよいよ「今津郷」「西宮郷」の「酒蔵通り」を往く。
今津六角堂
今津六角堂
酒蔵通りを歩み始めるとすぐ右側に「今津六角堂」があった。明治、大正、昭和を超え、いま平成の今津小学校の敷地内に、お洒落でモダンな姿で建っている。各地を転々とし取り壊しの危機にさらされたこともあったが、現在は建築当時の場所に戻った。 平成7年の大震災により被害を受けたが、平成10年1月改築され、展示室などとして活躍中。
 
現在は真新しくピカピカだが、元々この建物は、明治15年(1882)に当時の今津村、津門村の寄付などにより今津小学校の校舎として建築されたもので、洋式の小学校建築としては長野県松本市の開智学校についで古いものと云われている。平日は公開されているのだが、土曜のため残念ながら内部は観賞できなかった。


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