アルバム'04


04/2/28 平井本陣跡
04/2/28 平井本陣跡
04/2/28 竹中半兵衛の墓
04/2/28 竹中半兵衛の墓
半兵衛は美濃(岐阜県)出身の兵法家で、秀吉の片腕として活躍しました。三木城攻防戦の最中、平井山の陣中で病死しました。本営のあった山に続いたぶどう畑のまん中の、白い練りべいに囲まれて墓があります。半兵衛の墓は、志染町安福田にもあります。
04/3/27 亀山城跡前
04/3/27 亀山城跡前
71回 04/3/27(土) JR亀岡→田中源太郎旧邸→亀山城跡→城下町面影→
             西山緑花公園→那須与市堂→JR亀岡
 
小生、2ヶ月振りの顔合わせ。態々下見をして頂いた深見さんが風邪で不参加。石井さんは車で亀岡直行。他は阪急嵐山を経てJR嵯峨嵐山から。駅前の観光案内所で資料を貰い説明を聞く。出発10時過ぎと遅いスタート。先ずは、田中源太郎旧邸へ。案内と違い中に入れて貰えず、少々戸惑う。ガイドマップは大雑把で、全般を通じロス多し。
 
深見さんの不在が悔やまれる。亀山城跡への途中に「亀岡城」なるマンションがあり、頭がこんがらかる。案内所で聞いた饅頭屋へも、これで商売になるのかと案ずる程の店構え。西山緑花公園は、西山の山頂にあり長い階段。喘ぎ喘ぎ辿り着く。またも案内を偽り申し訳ない。ここで昼飯。桜はやはり無理たったが、久々の快晴と相俟ってやや
 
遅い感じの亀岡の春は新鮮。ガイドマップでは7.3km、2時間のコースであり、余る時間を他のコースに予定していたのだが、途中で時間ぎれ。鍬山神社・聖隣寺・光忠寺などを残してしまう。西山稲荷の狐に騙されたのか、はたまた酒の呑み過ぎか、今以て訳が分からぬ。帰りに「トロッコ列車」を考えなくもなかったのだが、終電に間に合わず。
 
帰りも嵐山経由で、桜にはまだ早かったが夕方にも拘わらずそこそこの人出、流石に嵐山か。出発をもっと早くすべきであったか、反省の一日であった。(約20千歩)
 
「亀岡の木蓮はまだ蕾なり」
 
・一面トップ:中国人強制連行 国に初の賠償命令 「過酷な労働」認定(毎日)
04/3/27 田中源太郎旧邸
04/3/27 田中源太郎旧邸
トロッコ列車の生みの親、田中源太郎翁の旧邸。書院造りの和館とレンガで造られた洋
館に百年の歴史を見ることができる。また、庭園も見事。現在は料亭となっており、コー
ヒーやお抹茶をいただくこともできる。ただし、開店は11時からで、門から眺めるのみであった。料亭の門はこの裏側。
04/3/27 亀山城跡
04/3/27 亀山城跡
亀山城(亀岡の間違いではない)は織田信長の命を受け明智光秀が天正7年(1579年)築城。姿を残している濠と石垣の一部から当時の姿を偲ぶことができる。現在は宗教法人大本の亀岡本部となっている。入口でお祓いを受けてから見学したが、「これより神域につき立入禁止」の立札が多く、見学は限られた。


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