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前の写真の田中さんの頭の右上後方にトンボが止まっていた
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草創は宇多天皇と伝えられ、天正十四年(一五八六)法俊上人が再興した。現在の建物は寛政五年(一七九三)に建てられたもの。本尊は阿弥陀如来立像で、多聞天、八幡大菩薩、大日如来の他、境内の観音堂には十一面観音像を安置している。
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松山城下町の大手門にあたるもので、壁以外はすべて黒く塗られているところから「黒門」と呼ばれ、昭和六年に国の史跡に指定された。この黒門から春日門にかけての通りが城下町松山の大手筋にあたる。
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江戸時代、大宇陀町は奈良、大和郡山につぐ規模の町で、薬や紙等の集積地として栄え、また政治、経済、文化の中心地であった。現在も格子戸や白壁の民家等、当時の面影を残した町並みが残っている。
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