|
![]() |
正称:園城寺(おんじょうじ)天台寺門宗総本山
天智・天武・持統三帝の産湯に使った霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていた
再三の焼失後 豊臣・徳川が復興
10回 99/02/27(土) JR大津ー街並み博物館通りー三井寺ー円満院門跡ー法明院
ーなぎさ公園ー義仲寺ー電車ー石山寺ー京阪石山寺
暦ではもう直ぐ春だが、寒さ覚悟で琵琶湖周辺へ。駅から三つの商店街を経る街並み博物館通りから三井寺へ、仁王門から順路に従い一巡、三井の晩鐘で有名な鐘楼の他に、伝説の弁慶の引き摺り鐘も。霊泉は今はお湿り程度。直ぐ近くの円満院門跡は生前戒名・納骨仏壇・宿泊等々商売気プンプン、担保問題で係争中。創建千年の歴史、現在
56代目皇子皇孫が継承と云うが誰のことか、付属の大津絵美術館まで下品(失礼)に感じるのは凡夫の情けなさか、庭は見事。市役所の前をとおり法明院へ、三井寺の別院、雄大な琵琶湖の絶景を一望。日本美術を世界に紹介した米国人フェノロサが絶賛したところ。氏の墓もある。予定の近江神宮は遠いとパス、不満の方も、電車で行けばと
反省。飯屋探すもなく法明院近くの蕎麦屋に戻る、オーナーが昔の仕事と少なからずの関係、奇遇。あと湖岸のなぎさ公園をしばし往く、この辺り風強くおまけに俄か雨、琵琶湖ホールで雨宿り。暫く歩むと文部省指定史跡の義仲寺。ここをあとに京阪膳所から電車、予定の唐橋下車の元気なく直接石山寺駅まで。駅から寺までが結構な距離、通り
過ぎるバスを見て乗ればよかった〜。石山寺:1200年前桓武天皇勅願で良弁僧正が開基、西国霊場十三番札所。日本唯一天然記念物の大きな珪灰石があり、寺名の由来。源氏の間には紫式部の遺品がある。境内をゆっくりと一巡ししばし休憩、感想を語り合う。帰路バスに乗りたいところ時間が合わず歩くことに。寒さを忘れよく歩いた一日だった。
「俄か雨琵琶湖のほとり春遠し」
|
室町中期(1451年)の建築 左右に運慶の密迹金剛力士像
東近江常楽寺のものを慶長六年家康が移築
|
朝日将軍木曽義仲の墓所 元暦元年(1184)義経に討たれる
芭蕉遺言により当寺に埋葬 忌日「時雨忌」を毎11月第2土曜に営む
句碑多数 永井さん「俳句の書」求む
|
南海・堺駅前にあり
11回 99/03/14(日) 南海本線堺ー旧堺灯台ー市内観光コースー仁徳陵ー大仙公園
ー東湊駅ーチンチン電車ー七道駅ー市内観光コースー
南海高野山線東堺
現役歩こう会3月例会が都合により中止になったので、臨時的に開催する。難波から急行9分の足下堺へ、交易・鉄砲鍛冶・利休と紹介するまでもないが、戦災で昔の物が殆ど残っていないのが惜しい。市は観光に注力しており、「てくてくろ−ど」と称し、双六風に路上に30cm角のタイルを要所に配し、「さいころ」が進行方向を示し、「目」の数だけ
「所定マーク」のタイルを進むと名所旧跡に行ける仕掛けになっている。コースには、「神社:6」「寺院:34」「史跡等:27」個所があり、約7km・所要約4時間である。また晶子の歌碑が14ヶ所ある。先ずコース外の旧堺灯台へ。コースに入り、晶子生家跡を経て利休屋敷跡へ、フェンスの外から井戸を眺めるのみ、大安寺・南宗寺は僅かに昔の風情を
残す。この辺りで昼時、店探すも見つからず、先にコース外の仁徳陵へと向かう途中に中華料理店。陵は最大級だが前はどこも同じの佇まい。南側に芝生のきれいな大仙公園、市民の憩いの場。公園内の堺市博物館には中世堺町並の模型、やっと堺に来た感じ。秀吉肖像の横に「堺にとっていい人?悪い人?」のコメントが面白い。
利休ゆかりの茶室「黄梅庵」「伸庵」を移築、水琴屈も。日本庭園は入り口から眺めるだけ。ここからチンチン電車を乗りに西へ向かう、道を間違えたか一本道なくやっと東湊駅。天王寺・恵美須町から浜寺までの関西では珍しい路面電車で七道駅まで、コースに戻り、唯一昔のままの鉄砲鍛冶屋敷へ、ここから南は寺町の一角、時既に閉門後で
通るだけ。折角だからと薄暮の中、ガードを抜けて方違神社・反正陵まで足を伸ばす。寒くもなく暑くもないとは云え欲張った一日だった。駅前でのビールが旨かった〜。
「戦災で堺の町も灰になり」
|
現存最古の木造灯台 近くに「天誅組・仏人撃攘の碑」あり
|
● 燦咲倶楽部 | ● 次回のご案内 | ● 散策履歴 | ● 現役散策履歴 | ● 会員紀行履歴 | ● リンク集 | ● 失敗履歴 | ● | ● |
● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
● | ● | ● | ● |