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延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場。戦いは激しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害した。中腹の金崎宮には両親王が祀られている。戦国の時代に信長・秀吉・家康・利家が勢揃いした。
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(高崎様提供)
金ヶ崎城跡は、延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場で、金崎宮には両親王が祀られている。また、この地には戦国時代の「つはものども」の気迫を今に伝える、数々の逸話も残っている。・・・時は元亀元(1570)年4月。朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江浅井氏裏切りの報が。
窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた木下籐吉郎(豊臣秀吉)の活躍で、無事帰京できたという・・・姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康・・・金ヶ崎城をめぐる出来事は、それぞれの武将にとって天下取りへの転換点となっている。
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(高崎様提供)
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敦賀港の東側に2棟並んで建っている『赤煉瓦倉庫』は、福井県内でも有数のレンガ建築物。外国人技師の設計によって1905年に建てられた当時は石油貯蔵庫として使われ、数年前までは昆布貯蔵庫としても使用されていた。現在、倉庫としては使用されていないが港町敦賀の象徴的建築物のひとつとして有名。柱の内側に壁を設け、内壁に柱のない空間になっているのが大きな特徴。
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