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三菱電機の近くにあり、昭和初期に石棺や副葬品が多数発掘され、もと古墳であったことが分かった。今も小屋の中に石棺や石仏が安置され、供花も絶えない。
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一向一揆盛んな頃、周辺の一向宗徒の本拠とされ、当寺を中心に塚口城が築かれた。信長に焼かれるが、土塁の一部(上の写真)が残り、横を流れる川は濠の一部といわれる。迷路のような道路もまた寺内町の名残で、北側一帯には古い家並みが見られる。
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明治紀念之標まえにて
64回 03/8/30(土) JR金沢→送迎バス→宿(厚生年金会館)→兼六園→金沢城公園
→白鳥路→大手掘→尾崎神社→近江町市場→尾山神社→
足軽資料館→武家屋敷跡→香林坊→美術の小径→宿
大阪7:11発と少々早い出発。高槻から退院なった菊池さんが久し振りの参加。京都からの深見さんを加え11名全員揃う。福井で駅弁買うもの多し。金沢着10分前にケータイのベル。悪い予感がよぎる。幸い迎えのバスからの連絡で胸を撫でおろす。ホテルに荷物を預け、休憩後13:30出発。先ずは兼六園へ。ホテルで入園券を貰っていたが、
65才以上無料でガッカリ。集合写真撮影後、菊池さんは慣らし運転の別行動。虹橋近くに大きな鬼やんま、あとを追うと虎石。タイガース馬鹿も殆ど病気。金沢城の復元はNHKに合わせたのか、はたまたその逆か。地元の方には失礼だが、薄っ平らい感じは否めず。あと石川門へ戻り、白鳥路を経て大手掘へ。尾崎神社のあと、滋賀出身者の
所望を入れ予定外の金沢の台所と謂われる近江町市場へ。夜の肴を仕入れる御仁に感謝。尾山神社辺りで別行動の城郭研究家から電話。足軽資料館付近で合流する。武家屋敷跡のあと?不夜城香林坊へ立ち寄るも、曇天とは言えまだ陽は高い。宿への最後の道は地図では変哲ないが、スリリングな径を体験。宿着、予定どおり17時。
お待ち兼ねの菊池さんと安堵の再会。さあ、一風呂浴びてとの段で、大浴場がないと!。部屋以外での浴衣はご法度!。料理は最高をとの依頼に拘わらず平凡以下!。焼酎はあるとかないとか!。梅干しは、お粥用の小粒!。設計の若尾文子の旦那の黒川紀章が悪いと八つ当たり。余り豪華にすると、民営圧迫とか年金の趣旨に
反するとか問題があるらしい。ツインの部屋での二次会は狭く、やはり団体旅行は和室・和風が似合う。幹事泣かせの施設ではあった。(約13千歩)
「鬼やんま兼六園の虎石に」
・一面トップ:核解決「段階的に」6か国協議合意ー対話枠組み維持ー共同声明は見送り(読売)
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兼六園象徴のお粗末
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