アルバム'09年

 
 

136回-2 蒲郡
136回-2 蒲郡
JR蒲郡駅
 
 
JR岡崎駅では待ち時間3分で快速がくる
 
ひと駅十余分にてここ蒲郡へ
 
早速観光案内所へガイドマップを貰いに行く
 
目的の「竹島」へいざ出発
Nippon号
Nippon号
駅前広場にて
 
アメリカンズカップの大型ヨット
 
艇のうしろに大きな字で「蒲郡」と書いてあった
 
蒲郡が本拠地なのか
生命の海科学館
生命の海科学館
 時間がないのでここはパスする
 
 生命の海科学館は、いん石や化石などの標本を通して、地球の歴史を紹介するミュージアム。見て、聞いて、触れて、いん石や化石が語る地球の歴史を楽しめる。
竹島園地
竹島園地
途中海岸に近づきすぎ遠回りとなる
 
橋を渡らなければ竹島には行けない
藤原俊成像
藤原俊成像
竹島への橋から
 
 この像は、平安時代に三河の国司として蒲郡の竹谷、蒲形地区を開発したといわれる藤原俊成卿の像である。俊成が国司をつとめたのは、久安元年(1145)12月から久安5年(1149)4月まで、俊成が32歳から36歳までの間、藤原顕広と名のっていたころである。
 
俊成は、三河湾に面して温暖な景勝地の当地を好み、当時クスの木などが群生していた荒地の開発等をおしすすめて蒲郡の礎を築いたといわれている。俊成が開発成就を願って琵琶湖竹生島から勧請したという俊成ゆかりの竹島は、現在蒲郡のシンボルとなっている。
 
俊成は、歌人としてもすぐれ、千載和歌集の撰者として知られており、鎌倉時代の代表的歌人、藤原定家の実父で、平安時代末期から鎌倉時代初期における業績は現在でも高く評価されている。
 
この銅像建立は、蒲郡開発の祖ともいえる俊成を通じて、広く一般に郷土歴史の理解を深め、文化の高揚をはかろうとするものである。
この像は、日本彫刻界の重鎮、文化勲章受章者、日本芸術院会員の富永直樹先生の制作である。
 
この「藤原俊成卿像」が、永く市民に親しまれて、ふるさとの歴史・文化発展の誘因となることを願うものである。
 
平成3年4月28日
蒲郡市
 
(碑文より)


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