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岡崎公園にて
本多氏は、松平二代泰親に仕えて以来、代々軍功を立てた徳川家譜代の家臣であり、忠勝より11代忠粛の時、岡崎に移封になり、明治維新迄100年の間、岡崎藩主として親しまれた。徳川四天王の一人・平八郎忠勝は、天文10年(1548)三河国額田西蔵前に生まれ、幼名を鍋之助と呼ばれた。
永禄3年(1560)桶狭間の戦いに13歳で初陣し、家康の大高城兵糧入れに従った。その後、めきめきと頭角を現し、永禄9年(1566)家康直属軍の主力をなす「旗本先手役」として、騎馬士50余人を付せられ、若干19歳にして一手の将となり、精鋭を率いた忠勝は、家康の遠江、駿河進出過程におけるほとんどの合戦に先手として大活躍した。
また、63年の生涯を通じて57度の合戦に臨み、かすり傷ひとつ受けたことがないといわれている。誕生地は火打山といわれ、丘になっている。
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三河武士のやかた家康館は、昭和57年、岡崎公園の西隅(旧岡崎城二の丸跡)に開館した歴史観光資料館。常設展示室では、三河武士の源流から家康の祖松平氏の歴史と家康の75年の一生をテーマ別にし、時代順に展示している。その他、特別展示室、資料室、ビデオルーム、収蔵室を併設し、三河の歴史をわかりやすく紹介している。
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関が原の合戦
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家康行列
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このあと「岡崎宿二十七曲がり」をめぐり予定であったが、見学に予想外の時間を費やし、且つ八丁蔵通り付近の「旧東海道」の味気なさから中止し、蒲郡を訪れることに予定を変更する。
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