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桜には少々早かったが 中には満開のものもあった
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児島高徳は「太平記」によれば、新田義貞とともに足利尊氏と戦い、妙見寺で傷をいやし各地を転戦し、晩年坂越で没したと言われている。船岡園中に児島高徳の墓と伝えられる五輪塔があるが、五輪塔自体はその特徴から考えて近世初期のものである。
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宝珠山妙見寺は真言宗古義派の寺院であり、寺伝では天平勝宝年間(749-757年)に「行基」が開基し、のち大同元年(806年)に「空海」が中興したと伝えられてるが、明らかではない。
嘉吉の乱(1441年)までは宝珠山の山腹にかけて16の坊舎と9の庵があったが、その後文明17年(1485年)の僧兵一揆により焼失した。観音堂は萬治2年(1659年)に宝珠山中腹に建立され、「円通閣」とも呼ばれたが、暴雨風のため大破し、享保7年(1772年)に現在位置に再建された。
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