アルバム'09年

 
 

桜紅葉
桜紅葉
楓に先立ち桜の紅葉があちこちに見られた
グルーム像
グルーム像
記念碑台にて
 
 明治末期にグルームの功績を讃える「六甲開祖之碑」が建てられたが、太平洋戦争突入前後に破壊され、今は見ることができない。それでも六甲のあちこちに残るカタカナ名前はいまだ消えないで先人の功績を伝えている。
 
 明治初年英人グルームらにより禿山同然だった六甲に緑が戻りゴルフ場など今日見るリゾートとしての六甲の基礎が形作られた。そのアーサー・ヘスケス・グルームは、イギリスの由緒ある家に生まれ、1868年(明治元年)に兄の手伝いのため22歳で神戸に上陸。来日と同時に18歳の武家の娘、宮崎直と結婚し、15人の子供をもうける(うち6人は夭折)。
 
 日本への理解が深く、また夫人・直の仏教的な信仰の深さもあり、年を経るにつれ、日本への愛着をより深めていく。
 
 1895年(明治28年)、グルームは外国人を中心とした別荘地帯を建設。六甲山上は、神戸市内よりも気温が8、9度ほど低い避暑地で、リゾート地として大いに賑わいを見せた。彼は六甲山の植林や桟道の整備開発に尽力し、人々が利用しやすい山づくりに努めた。六甲山上に建てられたグルームの邸宅は、神戸居留地にある彼の商館が101番地であったことから、通称「101」と呼ばれ、次第に人々に親しまれていく。
記念碑台
記念碑台
自然保護センター
自然保護センター
 六甲山自然保護センターは、瀬戸内海国立公園六甲山地区を訪れる人たちに対してビジターセンターとして開設している。山のおいたちや動物・植物など六甲山の自然をパネルや写真で紹介。研修・休憩の場としての利用や、公園の利用案内資料の配布などを通じて、自然保護や自然とのふれあいの普及を図っている。
 
 園地からは、市街地やポートアイランド、神戸空港などを一望できる。また六甲山ガイドハウス(別館)では、六甲山の魅力情報を発信している。
自然保護センター
自然保護センター
途中の道には猪が掘り返したと思われるところが多々あった
 


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