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中世に東氏は山田庄地頭として来郡した。その家臣石神兵庫は八幡腰細村に居住した。蓮如上人が越前吉崎に滞在のとき、弟子となり、法名を正専と授けられた。明応三年(1494)に、願蓮寺を創立した。八幡城主遠藤慶隆により城下の現今の地へ移転した。
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乙姫川遊歩道は南の「乙姫滝」まで続くが午後5時に近く、宿へ急ぐこととする。
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川を治める土木技術
郡上八幡は山々から流れ出る大小の河川が町を縦横に走っているため、水を治めることが町づくりの重要な課題。市内の小河川である乙姫川、赤谷川、武洞川などを見ると、両岸の石垣がそのまま川床へと続き、びっしりと玉石が組まれている。
これは無数の玉石によって絶えず水のエネルギーが分散させられるため侵食作用が損なわれ、その反面で水の浄化が促されるという意図で築かれたもの。この石組みの技術は、郡上八幡城の石垣や旧庁舎記念館から上流にかけての吉田川畔。宮が瀬橋の両岸など市内随所に見られる。
それらの土木技術は約400年前の郡上八幡の町づくりの基礎に大きな役割を果たした。その技術を担ったのが郡上北部の白鳥から高鷲にかけて住んでいたといわれる石積み技術を継承する集団。それから数百年経った今でも郡上北部の建設、建築業者には石組みのいい腕を持った職人が
多いと云われているのは、その技術が無形の遺産として脈々と受け継がれてきたため。
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新橋から
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