アルバム'08年


凌霜隊之碑
凌霜隊之碑
岸剱神社にて
凌霜隊之碑
凌霜隊之碑
岸剱神社にて
八幡城
八幡城
 この写真は模型のように見えるが本物である。昭和8年(1933)に再建された。
 
 永禄2年(1559)、遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城の始まり。その後稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)6代城主遠藤常友の修復によって、幕府から城郭として格上げされた。のちに井上氏、金森氏と相次いで入部。
 
宝暦5年(1755)大規模な農民一揆がおこり、12代城主金森頼錦は、お家断絶に追い込まれるというわが国の歴史上、最も壮絶な一揆が展開された。金森氏に代わって、宝暦9年(1759)に丹後の宮津から転封した青山幸道は城下の殿町に居館を築き、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸、松の丸に改められた。
 
そして明治4年(1871)廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取り壊された。現在、城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指定され、天守閣は市の有形文化財に指定されている。
八幡城から
八幡城から
城下町を望む
八幡城
八幡城
ここにも雛人形が飾られていたが 常設かどうかわ知らない
 


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