紀行'07-'09
 
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朝鮮人街道
朝鮮人街道
 琵琶湖岸に「朝鮮人街道」と呼ばれる街道がある。江戸時代には一般に鎖国の時代と思われていたが、朝鮮と琉球とは信を通わす外交のある国「通信の国」とし、中国とオランダとは貿易船の来航を認める「通商の国」と定めた。その朝鮮からの使節「朝鮮通信使」が通った道が「朝鮮人街道」と呼ばれ今もその名を残している。
市立資料館
市立資料館
郷土資料館・歴史民俗資料館併設
 
 郷土資料館は、近江商人(八幡商人)の代表的な人物である西村太郎右衛門の宅地跡にあり、現在の建物は旧近江八幡警察署を利用している。館内は、考古・民俗・文書などの資料が展示されており、毎年春と秋には特別展が開催される。
 
*西村太郎右衛門(安南屋)
 慶長8年(1603年)に西村家2代目の次男として生まれました彼は、20歳の時に角倉了以の御朱印船で長崎から安南(ベトナム)へと旅立つ。
 
 異国の地で商いに取り組み25年(正保4年・1647年)、帰国のため長崎まで帰ってくるが、時は鎖国の世であり上陸は許されず、安南の地で没した悲劇の商人である。
 
 彼が、長崎で故郷への思いを託し、絵師(菱川孫兵衛)に描かせ、日牟禮八幡宮へ奉納した絵馬「安南渡海船額」は国の重要文化財に指定されている。
 
 太郎右衛門の兄は、異国の地で亡くなった彼を思い、屋敷内に供養塔を建立。その後、昭和5年の御大典に併せて造成された「八幡公園」に移された。
 
 歴史民俗資料館は、 森五郎兵衞の控宅で、近江商人(八幡商人)の往時をしのぶ帳場風景や生活様式をそのまま残し、そのほか多くの民俗資料を展示公開している。裏庭には、民具。農具などが展示され、水郷地帯の農村の生活を知ることができる。
 
*市立資料館は「郷土資料館・歴史民俗資料館・旧西川家住宅・旧伴家住宅」の4館で構成されている。
旧伴家住宅
旧伴家住宅
 伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で屋号を扇屋と云う。寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳を商った。5代目の伴蒿蹊は18歳で家督を継ぎ、大坂淡路2丁目に出店。学問にも興味を持ち、本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らと親交のある国学者でもあった。
 
 以後も、伴家は繁栄を誇ったが、明治維新等の激動期に逆らえず明治20年に終焉した。
 
 今に残る旧伴家住宅は7代目伴庄右衛門能尹が伴庄右衛門家本家として、文政10年(1827)より天保11年(1840)の十数年をかけて建築したものだが、明治時代になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校と変遷した。
 
 戦後は近江兄弟社図書館として使用され後に近江八幡市立図書館となり、移転に伴い平成9年にその役目を終了した。その後の整備事業を経て、平成16年4月より市立資料館の一部として開館した。
旧伴家住宅
旧伴家住宅
京街道
京街道


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