アルバム'07年


多田街道
多田街道
側溝に竹筒を切りパンジーが植えられていた
 
自治会がやっているのだろうか何mか続いていた
辻の碑
辻の碑
 辻の碑:京都・東寺から西国街道は西宮に至り、海路・西国や四国に渡ったが。東岸の浄源寺(浄土真宗本願寺派、寺号の源は源氏にもあやかったか?)から猪名川を渡り、西岸の芭蕉の碑に辿り着き、多田街道との交差点になる。西国街道はここから伊丹坂を少し登った南側に、和泉式部の五輪塔がある。
和泉式部の墓
和泉式部の墓
 和泉式部の墓:和泉式部は遊女のフアンが多い。また、明治〜昭和前期の与謝野晶子、昭和・平成の俵万智も式部を意識している気がします。この場所は再婚相手・藤原保昌の丹後守の赴任に伴なう途中で、墓というより、供養塔であると伝えられております。
 
和泉式部の歌:
「津の國のこや(昆陽、来や)とも人はいふべきに ひまこそなけれ葦の八重ふき(葺)」
 
娘の小式部内侍の歌:
「おぼえ山(大江山)いく野(生野)の道のとほければ まだふみ(文)もみず天の橋立」
 
 母が居なければ、下手だろうと男性から冷やかされたが、この歌を聞き、相手はギャフンとなったそうです。
 
和泉式部の墓
和泉式部の墓
 式部の五輪塔の西傍に、八坂神社跡の石碑と阿弥陀堂があり、臂岡神社の看板もあります。阿弥陀堂の入口上の絵馬を見てください。謂れは未調査ですが、曰く有りげです。明治の廃仏毀釈で、臂岡天満宮の所領になり、阿弥陀堂は細々と近在の人々が守ったようです。堂の中には、神様も祭ら れています。御神木も根元の切り株だけ残っています。
八坂神社跡地
八坂神社跡地


前ページ目  次次ページ



otani@max.hi-ho.ne.jpご意見・ご感想はこちらまで