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櫓
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門の脇
戦国末期の天正7年、黒井城落城とともに明智光秀の家臣斎藤内蔵助利三が入部、陣屋(現在の興禅寺)を構えて戦後の治政に当たった。年の瀬も押し迫ったころ、この陣屋で産声をあげたのがお福、後の春日局で、物心のつく三歳の冬までこの地で過ごした。
お福は、城下の野山をかけ回り、その可憐さと利発さは領民たちの目をひき誰らかも「斎藤屋敷のお福さま」と呼ばれ愛された。
後年、徳川三代将軍家光の乳母となり、大奥で権勢を振うようになってからも、いつも懐かしく思い出されるのは、幼い頃、のどかな自然の中で両親や兄弟たちと、そしてあたたかい城下の人たちに囲まれて育った、この地で過ごした幼い年月であったと伝わっている。
稲葉正成に嫁いだのち江戸城の大奥に上がったお福は、徳川家康の孫、竹千代(家光)の乳母として召される。お福は家光を後継者にして欲しいと家康に訴え、世継ぎ争いで不利だった家光を三代将軍に就かせた。
家光が幕政を確立し、平和が二世紀以上続いたことを想うと、春日局はその影の立役者と言えよう。
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門の前には早くも白い桔梗と共に咲いていた
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本堂
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本堂内部
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