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祭神応神天皇ほか9柱。昔、淀川が氾濫したとき、賀茂神社の神体が漂着したので賀茂神祠と祢した。付近は『日本書紀』応神天皇22年条にみえる大隅宮の伝承地といわれている。
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弘化3年(1846)建立。もと豊里大橋付近の逆巻村(現在淀川河川敷)にあった。この付近は淀川でも水流の激しいところで、船は帆を逆に巻かねば転覆するほとで、多くの犠牲者が出たのでその冥福を祈って建立したという。大正12年現在地に移転した。
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ここで自転車行脚中の方に声を掛けられる。数々の場所を教えて頂いたが、何れも訪れたあとだったので申し訳なかった。
当地付近は、平安時代から乳牛を飼育していたところである。味原牧(あじふのまき)ともよばれ、元慶(がんきょう)8年(884)既に記録に現れている。典薬寮乳牛院に所属しヨーグルト・チーズに類する乳製品を貢納するとともに、毎年雌牛・子牛を乳牛院に送致しており、乳牛院では薬用に採乳し、古い牛は牧に返すなどしていた。当地では残った牛
を耕作用に使役するなと、徐々に田畑を広げていった。このように牧として性格は薄れたが、近世になっても地名として、また明治初期には小学校名として残っていた。
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