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何故かこの会は裏から入り表から出て行く
この日も何ヶ所か
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ここは地の人に教えて貰わなかたら先ず分からなかっただろう
寺伝によると、当地の遊女「江口の君」は、実は平資盛(とももり)の女で妙(たえ)といい、平家没落の後ここに来たという。仁安(にんあん)2年(1167)、西行法師が天王寺詣の途中たまたま当地を通行中、にわか雨に会い、彼女に一夜の宿を乞うたところ断られたが、歌の贈答があってその奥ゆかしさに、一夜を語り明かした(問答歌は、新古今和
歌集にも収められている)。その後、妙女は仏門に帰依し、庵を結んだと伝える。この付近は、平安鎌倉初期にかけては、京都との水運の要衝に当たる関係上、大いに賑わい、多くの遊女がおり、当時の有名公卿等も訪れた記録が残っている。遊女の中には没落有力貴族の子女も含まれていたという。その後元弘(げんこう)・延元(えんげん)の乱で焼失。現在の建物は正徳(しょうとく)年間(1711〜16)の再建である。
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