アルバム'08年


柴島浄水場
柴島浄水場
柴島(くにしまと読む)
 
永井さんの同窓生が嘗てここの偉いさん
 
見学を頼もうと思ったがならなかった
柴島神社
柴島神社
 ここの前に柴島城跡を予定していたが、嘗て行かれた方がつまらないから止めろと云い、且つ場所が分かり難かったのでパスした。
 
 伝えによると、貞永(じょうえい)元年(1232)9月、この付近は大洪水に襲われた。村民は少し高台になっていた土地に避難したところ、たまたま一束の柴に小社が乗り漂着したので、それにあった八幡大神、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、春日大神を祭神として祭ったという。元の位置は、淀川改修工事によりその河川敷となったので、
 
明治34年4月、現在位置に移転した。当社には室町時代初期の典型的様式を示す太刀を蔵しており、府有形文化財に指定されている。
柴島神社
柴島神社
柴島神社
柴島神社
瑞光寺・雪鯨橋
瑞光寺・雪鯨橋
 寺伝によると聖徳太子創建という。その後火災で衰微したが、寛永20年(1643)僧天然(てんねん)が指月寺として復興し、白隠(はくいん)禅師を座主とした。享保(きょうほう)14年に(1729)現在の寺名に改めた。境内に鯨の骨を用いた橋、雪鯨橋がある。宝暦4年(1754)、当寺の潭住(たんじゅう)禅師が南紀太地(たいじ)浦(捕鯨で有名)に行脚し
 
たとき、不漁に泣く村長覚右衛門らの豊漁祈願の依頼をうけた。しかし、殺生が五戒の一つであるところから容易に承知しなかったが、懇望もだし難く祈願したところ漁獲が多くなった。村人はその後、謝恩として黄金30両と鯨骨18本を贈ったので、その骨をもって橋をつくったという。戦災で烏有に帰したが、昭和49年太地町の協力を得て復興した。
 


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