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斎藤道三・織田信長の居城。金華山々頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により始めて砦が築かれた。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われる。戦国時代には斎藤道三の居城でもあった。その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し城主となる。
信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めた。
天正3年(1575年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注いだ。楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変賑わった。
1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、天守閣・櫓等は加納城に移さた。
現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっている。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれている。
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長良川を望む
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