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慶長六年(1601)に八幡領主遠藤慶隆は、東常縁の玄孫が出家して、正勧坊正欽と号し、飛騨の照蓮寺に留錫していると聞き、招請し当寺を創建して、菩提所となし、その影像を安置した。美並村乗性寺とともに郡上における東氏有縁・浄土真宗照蓮寺派の触頭の寺院として重きをなした。八幡城主遠藤慶隆の墓がある。
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職人町、鍛冶屋町といった町名にひかれてそぞろ歩けば、そこには古い家並みとその軒先をほとばしるように流れる水路がある。住まいの形式は京都に似て、間口は狭く奥に深い造り。観光向けに整備された町並みではないので、普段着のままの町の暮らしを垣間見ることができる。
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西日がきつい
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影も長くなってくる
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