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会員・ゲストの紀行アルバムです
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近江八幡駅(北口)
歩こう会12月の「青春18きっぷ」の残りで1月16日の倉敷に続き、近江八幡へ行ってきた。近江八幡へは現役時代の歩こう会にて'96年11月にも訪れているが、結構はじめての所も多かった。尤も小生の記憶が消えているのかも知れない。
今回の本来の目的地は、守山市のなぎさ公園であり、ここには約1万2千本の早咲きの「寒咲き菜の花」が約4000uの土地一面に広がり、対岸の比良山系の残雪とのコントラストが大変美しい(写真で見れば)。
近江八幡のあとJR守山駅へ向かい、観光案内所にて開花状況を尋ねると、今年は開花時期を遅らせるため、種を例年より遅く蒔いたとか。事前に観光協会のホームページで確認したのだが、そんなことは一切触れていない。バスに乗る前に尋ねたのがせめてもの幸いであった。
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「ぶーめらん通り」は、JR駅前の大通りの愛称。
近江八幡市は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まる。
秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となった。天正18年(1590年)に秀次が移封され、ついで京極高次が城主となるが、わずか 5年後の文禄4年(1595年)に廃城となる。
城下町商人としての特権は失われたが、 船や街道を利用して多くの人や情報、文化が入ってくる地の利を活かし、その先進性と自立的 な商法により八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど活躍していく。
なお、近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれ、それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴である。
県道近江八幡停車場線が修景緑化され、緑あふれる道となった。駅前はんえい会(商店会)は当市の玄関口であるこの通りの美化維持をするため地域住民の協力を促がし近隣景観形成協定の認可を受け、当会が発足した。
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