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会員・ゲストの紀行アルバムです
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結びの句碑の南側に木因の像と並んで建っていた
松尾芭蕉は、元禄2年(1689)の秋、奥の細道の旅をこの大垣で終えている。結びの句を詠んで、水門川の船町港から桑名に向けて旅立った。大垣の俳友・谷木因、近藤如行らが途中まで見送った。芭蕉が大垣を訪れたのはこのときが初めてではない。京都の北村季吟の相弟子だった木因を、貞享元年(1684)、
野ざらし紀行の旅の途中にも訪ねていて、計4回この地を訪れている。大垣の俳諧は、大垣藩十万石の城主・戸田公の文教奨励も手伝い、木因の指導によって大垣藩士たちを中心として盛んに行われていた。芭蕉のこうした訪問によって大垣俳壇に刺激を与えていた。「蕉風」俳諧は美濃一円に広がって美濃俳諧の源流となり、この地域では今でも俳句が盛んに行われていてその原点といえる。
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「奥の細道むすびの地記念館」がこの近くにあるのをあとで知り、見逃したのは残念だった
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左:芭蕉 右:木因
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「ミニ奥の細道」の終点に建っていた
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