アルバム'07年


大神宮
大神宮
祭神 天照皇太神
 
御神木
 
樹齢:1100年余
 
胴回り:15m
 
高さ:25m
粉河寺
粉河寺
 大門
 
 規模の大きい三間楼門で、和歌山県では、高野山・根来寺に次ぐ威容を誇る。宝永四年(一七〇六)総欅造り。金剛力士は仏師春日の作と云われ、尊像の用材は桂の巨木。
粉河寺
粉河寺
開祖 大伴孔子古(おおとものくじこ)
宗派 粉河観音宗(こかわかんのんしゅう)
本尊 千手千眼観世音菩薩 (せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)
 
【草創】
 奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。
 
  後日、一夜を泊めてもらった童行者は、孔子古の願い(庵に仏像を安置すること)をかなえてやろうと、七日七夜、庵にこもり、等身の千手観音像を刻み立ち去ったのが始め。
 
【沿革】
 草創時この方、粉河寺は多くの人達の信仰をうけて繁栄し、鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有していたが、天正十三年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失した。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成した。
 
粉河寺
粉河寺
仏足石
 
 お釈迦さんの足跡が刻まれている石で、紋様は千輻輪相を表し、その大きさは人徳の偉大さを象徴している。
粉河寺
粉河寺
盥漱盤
 
安永4年(1775)粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作品。
総高240cm・幅185cm
かつて江戸時代に全国に知られた粉河鋳物の代表的作品。
技術的にも優れ、以後2百年余、働き続けている。
「軽くまふ盥漱盤に一葉舟」 狙岡(そこう)


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