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瑞ケ池
瑞ケ池・昆陽池:瑞ケ池の南堤防上に、前述の和泉式部の歌碑があります。「伊丹の歌碑めぐり」 http://www.s-oak.jp/itami/kahi/map.html を参照下さい。一部の場所を下記にしました。
これらの池は、行基菩薩が灌漑工事をしたとのことです。今は規模が小さくなっていますが、瑞ケ池の北側の三菱電機研究所も埋め立てた跡地に伊丹市が誘致したもので、別の場所では、住友総合グランドや自衛隊第三師団・千僧基地の一部もそうではないでしょうか。
千僧とは、昆陽寺と関係して、落慶法要に千人の僧が参加した事に由来するとの事です。昆陽池は、当時の岡田市長(酒造家)が、埋め立てをストップし、都市公園として今に残こされ、渡り鳥の有名な飛来地となっております。朝日放送のパーソナリティ・道上洋三さんは近くに住んでおられ、時々、昆陽池の話も、ラジオから流れてきます。
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昆陽寺:行基菩薩の天平3年(731)創建とされていますが、聖徳太子が紫雲山中山寺を飛鳥時代の600年頃創建する時に、この地に関与したとの伝聞もあります。寺域の第一の門は塚口の富松辺りに在ったともいい、広大な寺領で本寺の他に23坊もあったとの事です。最盛期1000人÷25坊としても、1坊当り40人となる。
参考として、時代の流れは飛鳥・白鳳・天平文化と移り、天平で、大和時代後期と奈良時代前期に跨る。井上靖「天平の甍」は、僧に戒を与える律宗を伝え、唐招提寺を創建した鑑真和尚の唐からの来日(754年)を織り込んで、描いている。歩こう会・現役時記録では、唐招提寺(1998年1月31日)を訪問。
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