アルバム'07年


円照寺
円照寺
 美しい尼寺で、中宮寺、法華寺と並ぶ大和三門跡の一つ。茅葺の本堂は円通殿と呼ばれ、木造如意輪観音像、後水尾天皇の塑像などが安置されている。華道「山村御流」の家元としても知られている。(拝観不可)
110回 山の辺の道・北後半
110回 山の辺の道・北後半
白毫寺
 
 110回 07/6/23(土) JR帯解駅→帯解寺→八坂神社→円照寺バス停→円照寺→崇道天皇陵→白山比盗_社→八阪神社→白毫寺→鏡神社→新薬師寺→奈良公園→鷺池・浮御堂→東大寺→近鉄奈良駅
 
 今回も前回同様に雨天中止を覚悟していたが、またまた好天に恵まれた。前回の「山の辺の道北コース」の前半に参加され、今回の後半を欠席された三人の方は残念でした。機会をみて踏破してください。反対に、前半に欠席され、今回の後半に参加された方が三人おられ、前回同様に10名と少人数だった。無人の帯解駅を出ると既に陽は
 
高く暑い。早速リュックからタオルを出しておく。帯解寺・八坂神社を経て、前回終点の円照寺バス停へ向かう。たった一ヶ月まえのことだが、付近の景色の記憶が薄れている。ここからが今回のスタート。崇道天皇陵への道は早々に山道。今回のコースは前回より少々分かり難かった。細い道が多いかと思えばアスファルトの道もあり、これが本
 
当の山の辺の道かと疑いたくなる。殆どが「東海自然歩道」であり、今風に引き直した「近鉄版山の辺の道」のような気がした。とは言え、自衛隊官舎辺りの小川でも流石に水は澄んでおり、親子連れが水遊びに興じていた。丁度、昼どきとなるも適当な場所がない。池の堤を登ったところで、少々傾斜のある日陰の山道で弁当を開く。約1時間の
 
昼飯だったが、幸い誰も通らなかった。我々と同様に池の堤を登ってきたグループがあったが、陣取っている場所と反対の方向に行ってくれたのは有り難かった。このコースで出合った唯一のグループだったか。新薬師寺から一部道を間違えたが、あとは帰るのみ。東大寺の塔頭で朱印を貰う方にお付き合いして駅に向かう。奇しくも丁度6年前
 
の第38回'01/06/23(土)に通った吉城園や知事公舎をめぐり、嘗ての奈良町での土砂降りに遭ったことを懐かしむ。暑かったとは云え、前回より行程も時間的にも余裕があり、のんびりできた梅雨の晴れ間の一日だった。(約23千歩)
 
「野苺に疎開の頃を想ひ出す」
 
・一面トップ:社会保障カード検討 政府与党 住基ネットと連動(朝日)
帯解寺
帯解寺
 帯解駅のすぐ近くにあり、境内は意外と狭かった。
 
 当山は弘法大師の師である勤繰大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松山と申しました。そして、今から約千年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、
 
月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。帯解の名称はここから始まりました。(帯解寺HPより)
八坂神社
八坂神社
円照寺への途中にあり立ち寄って行く
円照寺
円照寺
 前回にも訪れているが、一部残られた方や前回不参加の方もおられるので再訪する。結果的には、途中の崇道天皇陵への道が明確に分かり助かった。


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