アルバム'07年


西光寺
西光寺
植物園をあとにしてもときた半木の道を戻る
 
当初ここが天寧寺かと思ったがそうではなかった
天寧寺
天寧寺
 天寧寺は、曹洞宗。本尊は釈迦如来像。山門を一に「額縁門」とも称する。天正年間(1573〜92)会津城下より移ったと伝える。境内観音堂には、後水尾天皇念持仏と伝える聖観音像と、東福門院念持仏と伝える薬師如来像を安置。境内墓地には、茶人金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚や慈野井家累代の墓がある。
 
 境内、本堂前のカヤの大木は昭和62年京都市登録天然記念物に指定される。また、本堂、書院、表門(山門)は平成14年京都市指定有形文化財に指定される。背景の山は「比叡山」。
 
 このあと、午前中にパスした「上御霊神社」へ行くつもりであったが失念してしまう。
阿弥陀寺
阿弥陀寺
 阿弥陀寺は、天文年間(1532-55)に清玉上人が近江(滋賀県)の坂本で開創。織田信長の帰依を得て京の地に移した。1582年(天正10)信長父子が旧本能寺で自刃したとき、上人が密かに骨灰をあつめてこの寺に葬ったという。本堂の本尊阿弥陀如来像の傍らに信長、信忠の像、境内に信長父子および森蘭丸ら120余人の墓がある。浄土宗。
 
 尚、今の地には、変後豊臣秀吉の命によって移され(天正15年)、今日に至っている。
幸神社
幸神社
 「さいのかみのやしろ」と読む。神代の頃の創建とされ、天武天皇が再興したのち、桓武天皇によって造営された。境内にある猿の神像は、御所の角の東北にある、猿ヶ辻の猿と一対になって、都を守護した名残と言う。主祭神の猿田彦大神は天細女命(あめのうずめのみこと)と共に天地を結ばれたとされ、縁結びの神様として知られる。
清浄華院
清浄華院
 清浄華院は、浄土宗の七大本山の一つ。清和天皇(せいわ)の叡願(えいがん)により貞観二年(860)頃、京都御所の構内に建造され、御祈願などの清浄の業を精勤したという。高倉天皇の時、 法然上人に勅授され浄土宗の寺院として発展した。天正年中(1573〜92)に至り豊臣秀吉によって御所内から現在の寺町に移された。
 
 明治維新後も数人の皇族の 位牌を供養したが、陵墓(りょうぼ)は宮内省(くないしょう)の所管となった。浄山(じょうざん)と略称、呼び名も普通「じょうけいん」という。


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