アルバム'07年


護王神社
護王神社
 今年は「亥年」。狛犬ならぬ「狛?猪」とは珍しい。ここで小休止。美しい巫女さんに惹かれてコーヒーを注文する御仁も。
 
 護王神社は、桓武天皇に平安京遷都を進言し、その造営に貢献した和気清麻呂と、その姉で戦乱で身寄りを亡くした多くの孤児達を養育した和気広虫を祀る。境内には清麻呂の難を救った猪にちなみ、狛いのししや、猪のコレクションがあり、「いのしし神社」としても親しまれている。社殿は神護寺境内にあったが1886年(明治19)現在地に遷座した。
 
 4月4日は旧暦で清麻呂の命日にあたり、例大祭「護王大祭」が行なわれる。また、11月1日の「亥子祭」は、平安朝の古儀を再現した優雅な祭りとして知られる。猪に助けられた清麻呂の足萎えが回復したという古事から、足腰の病気・怪我回復の御利益があるとされている。
蛤御門
蛤御門
 ここから京都御苑を通り、相国寺へ向かう。この蛤御門は、もとは新在家御門と呼ばれ常に閉ざされていたが、宝永の大火(1708年)の際に初めて開門されたことから「焼けて口開く蛤」にたとえられ「蛤御門」と呼ばれるようになった。また、幕末の禁門の変では、御苑一帯が主戦場となり、この戦いに長州藩が敗れたことで幕末動乱の転機となったが、その最大の激戦地だったのが蛤御門で、今でもその時の弾痕が残る。
相国寺
相国寺
 「しょうこくじ」と読む。臨済宗相国寺派大本山。足利義満が創建を発願、1392年(明徳3)に完成、夢窓国師を開山とした。山内に禅宗寺院を統制管理する僧録司を置き、禅宗行政の中心的存在であったが、失火で炎上、5年後に七層の宝塔を建立したが落雷で焼失するなど衰退、再建を繰り返した。法堂(重文)は豊臣秀頼の寄進。
 
 天井に狩野光信筆の蟠龍図が描かれ‘鳴き龍’で知られる。寺宝は、無学祖元墨蹟(国宝)をはじめ、文化財は多く、1984年(昭和59)、一山の美術品を一堂に集めた承天閣美術館ができた。建立:1392(明徳3)年。
光明寺
光明寺
 相国寺には、幾つもの寺院があるが光明寺もそのひとつ。門の外からカメラを向けていると、「どうぞお入りください」との声に甘える。
慈照寺
慈照寺
何故か、彼の有名な「銀閣寺」の正称。
 
この辺りから空模様が怪しくなる


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