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その昔はよく通ったものだ
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「お初天神」の名で広く知られる当神社の正式名称は露 天神社(つゆのてんじんしゃ)と云う。元禄16年(1703年)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いた。以後、そのヒロインの名前「お初」に因んで「お初天神」と呼ばれるようになった。
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お初と徳兵衛
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堀川戎神社は、欽明天皇の御代〈539〜571〉止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神の神託を受け堀江で玉を得て、これを御霊代(みたましろ)に蛭子大神を富島に祀り、瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と名付けたのが創祀と伝えられている。白雉2年〈651〉、少彦名命(淡島明神)の神像を彫刻し納め祀り、また大宝3年〈703〉
天太玉命を相殿に祀り、御祭神三座となった。後に平治の乱〈1159〉を避け、丹波国山家(やまが)に動座しましたが、文和年間〈1352〜5〉現在地に遷座再興した。以来、蛭子社・恵美須社・堀川戎社と呼ばれ信仰厚く、殊に江戸時代中期からの十日戎は年々盛大となり、諸人群参したと記されている。そして明治40年〈1907〉数社を合併、堀川神社とな
り村社に列した。昭和20年の戦災で社殿始め全建物を焼失したが、順次復興し、昭和38年現在の御本殿を再建した。
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