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ここの庭園は午後1時半からと分かっていたが立ち寄った
普門寺は、「慈雲山と号する臨済宗妙心寺派禅刹で、創建は古く南北朝末期の明徳元年(1390年)にさかのぼる。室町幕府のもとでは管領細川晴元、足利十四代将軍義栄の居城でもあって普門寺城と呼ばれ、当時の土塁が確認されている。境内に細川晴元の墓とされる宝篋印塔がある。
最盛期には約3万u(本照寺や旧富田小学校等敷地を含む)に及んだ境内は明治の廃仏毀釈による同寺鎮守、三輪神社独立や、戦後の農地解放等によって寺領は六分の一にまで縮小。しかし、国の名勝枯山水庭園や重要文化財に指定された方丈など数々の貴重な遺産を残す禅宗の名刹である。
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ここも裏門から入る
宮司が栞を配り丁寧な説明を受ける
由緒ある絵馬を撮ってきたが鑑賞に耐えず割愛する
三輪神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る三輪神社。大和国三輪山に鎮座する大神(おおみわ)神社から勧請したとされ、もとは普門寺の鎮守社とも、富田村の産土神(うぶすながみ)とも云われている。寛永16年(1639)に普門寺の龍渓禅師により再興され、寛延2年(1749)に社殿が修復されたことが、神社に残る奉加帳序や棟札から窺える。
富田は、江戸時代の初めに酒造りが隆盛をきわめ、24軒もの造り酒屋があったと云い、三輪神社は酒の神様を祀る神社として人々の信仰を集めている。本殿、合の間、拝殿で構成される社殿や、灯籠、狛犬など江戸時代の建物や石造物がよく残っている。
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