|
![]() |
法然上人像
|
乙訓寺は、真言宗豊山派長谷寺の末寺。乙訓地域で現存するもっとも古い寺院で、聖徳太子が開いたといわれている。延暦4年(785)に早良親王が幽閉し、弘仁2年(811)には、空海(弘法大師)が当寺の別当に任じられている。弘仁3年10月27日の書簡には、空海と同時に中国へ仏教の勉強に行っていた天台宗の最澄(伝教大師)が空海を訪ねてきて、二人で密教について法論を交わしたという記録が残っている。
境内には、本山の長谷寺から移した牡丹が、4月下旬から5月上旬ごろに大輪の花を咲かせる。市の天然記念物に指定されているモチノキは、高さ9メートル、根本周辺は約3.6メートルあり、推定樹齢は500年近いとみられており、京都府内でも屈指の大きさと指摘されている。京都洛西観音霊場第六番札所。
|
紅牡丹
|
● | ● | ● | ● | ● | ● |