アルバム'09年

 
 

淀川三十石船舟唄碑
淀川三十石船舟唄碑
淀川三十石船舟唄碑
淀川三十石船舟唄碑
淀川三十石船舟唄碑
淀川三十石船舟唄碑
八軒家船着場
八軒家船着場
対岸が八軒家船着場
将棊島粗朶水制跡
将棊島粗朶水制跡
「しょうぎしまそだすいせいあと」
 
 将棊島は、淀川の水が寝屋川・鯰江川「なまずえかわ」に逆流して水害を引き起こすのを防ぐために、3つの河川の合流点の綱島から天満橋を越えて236間(約430m)余り下流まで築かれた隔流堤「かくりゅうてい」で、幅7間(約13m)あった。
 
 淀川治水のため、明治6年(1873)に来日したオランダ人技術者デ・レーケ、エッシェル、テイッセンの3人は、その翌年、将棊島地先にオランダ式の粗朶沈床「そだちんしょう」による水制工を実施した。これは木の枝を束ね、組み合わせたものに石を詰め、河岸から河の中央に向かって設置された突起物で、水の勢いを弱め、護岸に効果があった。
 
この工法はケレップ水制とも呼ばれ、現在でも城北公園(旭区)北側の淀川左岸のそのなごりを留める。デ・レーケは来日してから29年間、大阪に留まり、淀川の治水と大阪港の建設に尽力した。


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