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開山の遠谿祖雄禅師は、当地青垣町の遠坂地区にあった山垣城(やまがいじょう)の城主足立遠政(あだちとおまさ)公の孫の光基(みつもと)の三男。遠谿祖雄は、幼少の頃より出家し、1306年に中国に渡り、杭州天目山の中峰国師(ちゅうほうこくし)のもとで約10年修行をして悟りを開く。そして、帰国後、霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建する。
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1326年には後醍醐天皇より高源寺号を賜り、また後柏原天皇の代には、勅願所の礼遇を許され、住職は末代紫衣の宣旨を受けた。そして、全国に末寺を持つ大本山となった。しかし、天正年間、織田信長の丹波攻略で建物をことごとく焼失した。その後、享保の始めに天岩明啓(てんがんめいけい)禅師が再興し、1799年には、弘巌玄猊(こうがんげんげい)禅師が柏原藩の援助を得て再び再建し、現在に至っている。
建物は現在、惣門・山門・仏殿・方丈・鐘堂・多宝塔などがある。
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高源寺は紅葉の名所としても知られているがここが最も遅かった
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