アルバム'08年


豊里大橋
豊里大橋
 
 
平田の渡し跡
平田の渡し跡
 このコースも終わりに近づいた頃「大阪市史跡連絡遊歩道」の道標は歩道の卍模様のレンガらしいと気づかれた方が現れる。それに従って来たのだが随分と遠回りをした。
 
 例により、説明文を読み上げようとすると、案内には「豊里大橋北詰西側堤防上」とあり、あとの祭り。これも夜の部の時間調整のご愛嬌か。
 
 淀川には、古くから渡しが発達し、便宜をもたらしていた。江戸時代の記録(「摂陽群談(せつようぐんだん)」元禄14年、1701)によると、長柄の渡し以下15ほどを数える。そのうち平田の渡しは、延宝4年(1676)ごろから開かれ昭和45年の豊里大橋が完成するまでの間、約300年近くにわたり活躍した。明治40年には大阪府営となり、大正8年からは道路の一部と認定されて無料、昭和23年以降は大阪市直営であった。
 
 このあと最後の「定専坊」を訪ねる予定であったが、先程遠回りしてきた近くにあり、逆戻りするのは精神衛生上よくないし、駅への遠回りにもなるのでのでパスすることにした。
 
123回 友ヶ島
123回 友ヶ島
 123回 08/07/26(土)  南海加太駅→加太港→(船)野奈浦桟橋→池尻浜→第2砲台→友ヶ島灯台→孝助松→小展望台→コウノ巣展望台→第3砲台跡→南垂水キャンプ場→野奈浦桟橋→(船)加太港→南海加太駅
 
 学校が夏休みに入り、加太港から友ヶ島行きの臨時船便10時発が7月20日から始まった。これに合わせての今回の企画であるが、それでも南海なんば駅発7:45と早い便。これのためか、はたまた暑さのためか今回の参加者は前回の約半数の8名と少々寂しい。さて、冷房の効いた電車を降りると、まだ9:16だと云うのに将に炎天。少し歩き
 
始めると汗が吹き出る。それでも港に近づくと磯の香りに気分が和む。船は定員の約半分位の乗客を乗せて定刻に桟橋を離れる。船室は冷房が効いて眺望もよく快適であるが、写真を撮りにデッキに上がる。たちまち帽子が風に飛ばされそうになる。蒼天と紺碧の海、白い波しぶきに気分は爽快である。20分の乗船で野奈浦桟橋に着く。先ずは記
 
念の集合写真を撮って貰う。島は無人島で夏場のみ観光施設がオープンするらしい。客の大半は釣り、キャンプ、海水浴などでハイキングは少数派である。桟橋の近くにビールを売っていたが、昼飯時には温まってしまうだろうと買われたのは1名のみ。コースはほぼ予定通りであったが、南垂水キャンプ場は入口近くでUターンする。日陰では風は結
 
構涼しかったが、なにせ猛暑のことあまり無理はしないことにする。おかげで一時間前の14:30の船便で帰ることができたのは何よりだった。なんば着は例により居酒屋開店の直前。暑くはあったが、都会を離れアスファルトも信号もない自然豊かな島での一日であった。(約14千歩)
 
「灯台の陰に憩ひて風涼し」
 
・一面トップ:グループ内派遣に上限 厚労省、8割軸に調整(朝日)
南海加太駅
南海加太駅
 駅から港までは徒歩約20分。電車の到着から乗船までに44分間あるが、手洗いや茶を買ったりしていると結構時間を費やしてしまう。大正14年
春日神社
春日神社
港までの途中に幾つかの社寺があったが、拝観の時間はなくカメラに納めるのみ。


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