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会員・ゲストの紀行アルバムです
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秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となった。天正18年(1590年)に秀次が移封され、ついで京極高次が城主となるが、わずか 5年後の文禄4年(1595年)に廃城となる。
城下町商人としての特権は失われたが、 船や街道を利用して多くの人や情報、文化が入ってくる地の利を活かし、その先進性と自立的 な商法により八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど活躍していく。
今なお碁盤目状の整然とした町並みは旧市街地に残され、特に新町や永原町にはかつて の近江商人本宅の家々が立ち並び、八幡堀に面した土蔵群は往時の繁栄を偲ばせる。
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「右永原町通り」
「永原町上
旧朝鮮人街道」
と読める
何時か来た道に戻ってきた
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先祓
京都国立博物館の「シルクロード・文字を辿って」を観賞するまえに、「祇園祭花傘巡行」を観賞してきた。四条大橋の少し西寄りの南側の歩道に陣取り、午前10時に八坂神社を出発する巡行を待つ。もっと人出で混むと思っていたが意外と空いており、ゆっくりと約1時間強で巡行の最後まで観賞できたのは幸いであった。
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花傘巡行は、 「後のまつり」の巡行が17日の山鉾巡行と合併したため、山鉾の古い形態を再現するねらいではじめられたもので、花傘の10余基をはじめ京都花街のきれいどころの踊り、鷺踊、久世六斎、子供神輿、祇園ばやし、稚児など総勢千人の行列が続く。毎年7月24日午前10時から。コースは 八坂神社石段下→市役所→八坂神社。
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