紀行'07-'09
 
会員・ゲストの紀行アルバムです


宝珠山 妙見寺
宝珠山 妙見寺
 宝珠山妙見寺は真言宗古義派の寺院であり、寺伝では天平勝宝年間(749-757年)に「行基」が開基し、のち大同元年(806年)に「空海」が中興したと伝えられているが明らかではない。
 
 嘉吉の乱(1441年)までは宝珠山の山腹にかけて16の坊舎と9の庵があったが、その後文明17年(1485年)の僧兵一揆により焼失した。
 
 観音堂は萬治2年(1659年)に宝珠山中腹に建立され、「円通閣」とも呼ばれましたが、暴雨風のため大破し、享保7年(1772年)に現在位置に再建された。
妙見寺から
妙見寺から
妙見寺から
妙見寺から
生島が見える
船岡園十三景
船岡園十三景
児島高徳の墓
児島高徳の墓
 児島高徳は「太平記」によれば、新田義貞とともに足利尊氏と戦い、妙見寺で傷をいやし各地を転戦し、晩年坂越で没した。
 
 船岡園中に児島高徳の墓と伝えられる五輪塔があるが、五輪塔自体はその特徴から考えて近世初期のものである。
 


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